超一流ブランド《カルティエ》輝かしい歴史と不朽の名品パンテール
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そんなあなたにピッタリのレディースウォッチがあるのです。好みのデザインを是非見つけてみましょう!
今回はカルティエとパンテールの歴史を紐解くPart 1と、1980年代~新型のコレクションを年代別に比較したパンテールの魅力をご紹介するPart 2の2部構成でお届けします!
【カルティエの歴史】
世界5大ジュエラーとして、世界中の誰もが知っている超一流ブランドのカルティエ!世界中の女性を魅了する高級ジュエラーとして、デザイン性の高い数多くのジュエリーコレクションや腕時計、サングラス、小物などを幅広く展開し、老若男女問わず世界中の王族や実業家、ハリウッドスターなどから愛され続けているブランドです。創設は1847年と長い歴史を持ち、創業者は宝石細工師である宝石商ルイ=フランソワ・カルティエ氏。同氏は師匠からフランスのパリで小さな宝飾店を継承後、宝石商としての実力と優れたビジネスセンスを武器に、フランス王族オルレアン公の館付近にあるヌーヴ・デ・プティ・シャン通り五番地にメゾンをオープン!同氏の優れた鑑識眼と精巧な宝飾加工技術、そしてフランス人の高い美的センスから創出される優美なジュエリーたちは、あっという間に社交界に参列する王侯貴族を魅了します。
出典:カルティエ 「ブティック パリ本店」
当時のパリと言えば、劣悪な都市衛生により疫病が蔓延していたのですが、1852年から始まるナポレオン三世の第二帝政期で、大規模な都市整備事業を施行!荒廃したパリの街を約17年の歳月をかけて世界中を魅了させる都市に整備させます。生まれ変わったパリの街は、世界で最も華やかで煌びやかな夢の楽園ベル・エポック期として返り咲き、世界各国の王侯貴族や芸術家、産業王たちが花の都パリを一目見ようと足を運びました。そこに目をつけたのがカルティエ一族。パリの中心地オペラ座付近に2度移転し、世界中から集まる王侯貴族を相手にします。同社の噂はたちまちに広がり、創業からわずか12年足らずで、社交界の中心人物として名高いナポレオン三世の皇后ウジェニーから、直々にオート・ジョワイユ(オーダーメイド)を受注するほど!瞬く間にフランス王族公認ジュエラーとして、確固たる地位を築いた同社は、これを転機にヨーロッパ諸国や旧ロシア帝国などを含めた世界16か国に上流階級の熱心な顧客たちが次々と誕生します。
1900年代にはイギリスのロンドンやアメリカのニューヨークなど、世界の主要各国に拠点を構え、1904年には世界で最も国力のあったイギリス王エドワード七世から「The jeweller of kings and the king of the jewellers(王の宝石商でもあり宝石商の王)」と称され、同社の功績を高く評価!1939年までには世界15ヵ国で公認の王室御用達ジュエラーとしての恩恵に授かり、同社の揺るぎない地位を築き上げます。
【先見の明をもつ三代目ルイ氏】
カルティエ一族の中でも、次世代を見据えて挑戦的なまでにハイセンスな作品を世に創出した凄腕経営者といえば、創業者の孫である3代目当主ルイ・カルティエ氏。デザインの魔術師と言われるほどに芸術への探求心を持ち、現状に満足せず常識を超えた新しいアイディアを生み出す同氏は、1900年に世界ではじめてプラチナをジュエリーに採用します。出典:カルティエ「アルファベットで見るパンテール ルイ・カルティエ」
中でも18世紀の新古典主義と呼ばれるデザインをベースとして、プラチナをレース編みのように仕上げ、ダイヤモンドを美しく配列したジュエリーは世界をハッと感嘆させる美しいものでした。のちにガーランドスタイルと称される革新的なデザインは、同氏の独自性溢れるハイセンスなデザインとして、世界中の王室を魅了し、この名作を機に、同社は世界進出に向けて動き出します。
出典:カルティエ 「ブランド ガーランドスタイル」
同氏の異才はジュエリーだけでなく、男性用のシガレットケースやライター、腕時計などの開発にも注がれます。ブラジルの産業王である友人の飛行士アルベルト・サントス=デュモン氏から「飛行中に操縦機から手を放さずに目視できる時計が欲しい」と依頼を受けて、世界初の腕時計サントスを開発!ムーブメントには友人であるエドモンド・ジャガー氏が率いるルクルト社(現在のジャガー・ルクルト社の前身)のキャリバーを採用するなど、デザインだけでなく、性能にもこだわり抜きます。
さらにルイ氏は次世代のアール・デコ様式を生み出した先駆者として、歴史に名を刻んだ人物でもあります。当時のヨーロッパでは、日本の浮世絵に刺激を受けた芸術活動ジャポニズムの影響を受け、植物や動物をモチーフとしたアールヌーボー様式(新しい芸術)が主流の中、同氏は第一次世界大戦で活躍する戦車からインスピレーションを受け、アールデコ様式の特徴である直線的な対称美をモチーフとした腕時計タンクLCを開発!
アールヌーボー様式をいち早く脱却した同氏の先駆的で大胆なデザインや、男性向けの腕時計を含めたアイテムの開発は、女性顧客だけでなく、男性顧客を獲得するきっかけとなりました。
出典:カルティエ 「メゾン 語り継がれる伝統 コレクション タンクLC」
【ルイ氏とパンテール】
同社のアイコンとなっているパンテール。フランス語で豹(ヒョウ)を意味するその言葉とデザインは、今やカルティエの象徴としてジュエリーやバッグ 、腕時計などの幅広いコレクションに刻まれています。パンテールが初めて世界に発表されたのは1914年!オニキスとダイヤモンドが豹の模様のようにあしらわれたブレスレットウォッチです。出典:カルティエ 「アルファベットで見るパンテール オニキス 」
野性的な獰猛さと洗練されたデザインに世界が注目したのと、時期を違わずして、ルイ氏は知人の紹介でベルギー出身の女性デザイナーと出会います。当時には珍しく、女性として毛皮を好むファッションや、エレガントな青い瞳、スリムな外見。凛々しくしなやかな立ち振る舞いを備えつつ、貪欲なアクティブさと厳しい世界を自立して生き抜く彼女の姿はまるで豹のようだと、
ルイ氏が愛称を込めてパンテールと呼んだ人物こそ、のちのカルティエハイジュエリー部門の最高責任者として世界に名を轟かせるオート・ジョワイユの女王ジャンヌ・トゥーサン氏です。ジャンヌ氏のハイセンスな個性を誰よりもいち早く見抜いたルイ氏は、1920年頃にメゾンの一員としてデザイナーに抜擢!それ以降、ルイ氏のヴィジョンや宝飾に関わる全ての知識をジャンヌ氏に共有したと言われています。
出典:カルティエ 「アルファベットで見るパンテール ジャンヌ・トゥーサン」
ルイ氏は「ジャンヌ氏とパンテールの出会いは宿命であり、Les Années Folles(レザネフォール)という、世界大戦下から世界恐慌の間に起こったモダンスタイルへ移行する、この自由と活気に満ちた繁栄と狂乱の時代に生きる女性たちの姿を写す鏡として、パンテールほど相応しい名作はなく、カルティエのアイコンをパンテールに仕上げるのは時代の象徴であるジャンヌ氏」と予見していたとされています。
ビジネスを超えて深い信頼を築き上げた両者は結婚を意識しますが、ルイ氏だけでなく、カルティエ一族から絶大な信頼を得ていたジャンヌ氏でも、家柄の違いから一族の反対に合い、結婚は断念。ビジネスパートナーとして、お互いが同社の原動力として、目覚ましい発展に生涯をかけて尽力したという、愛のカタチは逸話として有名です。
【世界中から愛されるパンテール】
1933年にジュエラー最高責任者に任命されたジャンヌ氏は、アール・デコ様式から再びアールヌーボー様式が再来すると踏み、同社のアイコンとしてパンテールを多くのジュエリーやバック、時計などのコレクションに加えていきます。同氏の個性に溢れるハイセンスなデザインは、時のファッションリーダーや王族、大物著名人を釘付けにする名作ばかり!出典:カルティエ 「アルファベットで見るパンテール ウィンザー公爵夫人に贈られたエメラルドのブローチ」
ジャンヌ氏は誇り高き女性のシンボルとして、この世を去る1970年まで見る者を瞬時に釘付けにする野生美溢れる洗練された逸品を世界に贈り続けました。 歴史に大きな傷跡を残した世界大戦が2度過ぎ去り、女性が自由と自立を獲得して凛々しく生きられる現代。ジャンヌ氏を象徴とする、しなやかさをまとったパンテールは、時代を超えて世界中の女性から絶大な支持を受け続けています。
さて、後編ではパンテールの魅力を年代別に分けて存分にお届け致します。
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【参照元】
・参照元:CARTIER 公式HP